ある日、詩人ロングフェローは熱心なファンからこう言われた。
「おおっ、久しぶりじゃないか! それにしても君は変わらないな。何か秘訣(ひけつ)でもあるのかい?」

  ロングフェローは庭にある大きな木を指して答えた。
「あの木を見てみろ! もはや老木だというのに、ああやって花を咲かせ実までつけているだろ。

  それができるのはあの木が毎日多少なりとも成長しているからさ。
私だって同じだよ。年を取っても毎日成長しようと思って生きているんだ!

  このように老人は決して「終わった存在」ではない。
人は生きているかぎり、常に成長のための新たな課題を与えられているのだ。

  よって人は死ぬまで絶えず鍛えられ、再編成され矯正される。
つまり私たちは老いてもなお、成長や発展を遂げられるのだ。

  人生の各段階が新たな変化の機会を提供してくれるからである。
人格も同様だ。70、80、90歳を過ぎても変化し続けていく。

  その際、老いを捉える姿勢次第では、人生を「惨めで悔いばかり残るもの」ではなく。
「いつまでも希望と変化がある能動的なもの」にすることもできる。

   (  プレジデント・オンライン   より  )