早大時代から名手と言われていた広岡氏だが、当時の早大・森茂雄監督から。
「立命大に広岡よりうまいショートがいる」と言われ、火がついたという。
巨人でも「広岡―長嶋(茂雄)より、吉田―三宅(秀史)の三遊間の方がうまい」という声に燃えた。
当時、吉田義男を中心に「鉄壁」と称されたタイガース内野陣へのライバル心が、原動力だったと話す。

   「吉田が偉いのは、常にプロとして、アマチュアとの違いを見せつけていたこと」。
そして圧倒的な技術に加え「体が小さかったから、ファンを沸かせるプレー。
大きな動きや技なども見せていた。今の選手とは全然違うよ」。
シートノックでも金がとれると言われるなど。
常にファンの目を意識したプロとしての心意気にも共感してきた。

   1985年の日本シリーズでは西武の監督として吉田監督率いる阪神と対戦。
さらに2012、13年のキャンプでは、一緒に阪神の臨時コーチを務めたこともある。

   「吉田がいて、私も勉強した。いまのタイガースの選手も、吉田のプロフェッショナルを。
タイガースの伝統を受け継がないといけない。そして常にライバルがいないとダメ。作らないとダメ」

   チーム内外を問わず、どれだけ切磋琢磨できる相手を見つけ、自分を高められるか。
盟友への手向けの言葉は、広岡氏からプロ野球の後輩たちへの、メッセージでもあった。

     (  サンケイスポーツ より  )