94年夏場所で新三役昇進以降、00年初場所当時で既に三役を5年務めていた。
関脇として臨んだ96年の全6場所は9~11勝で推移したが、大関昇進の目安にあと1歩届かなかった。
「ことごとく失敗してきた」からこそ、何かを変えなくてはいけないという思いが強かった。
行き着いたのは体をもう1度作り直すこと。
かねて悩みの種だった左右の体のバランスを整えるべく、「全くしてこなかった」筋トレを取り入れた。

  浅香山親方 例えば右は引きつけて投げるような力はあるけど、左は全くできない。
また、背筋は強いけど、前の筋力が弱かった。
そういった1つ1つの感覚を均等にしたかった。
同じことを続けていれば、同じ所にしかたどりつけない。
他の人と差をつけようと思ったら、新しいことを取り入れなくちゃいけない。

  その後、膝を痛めた影響で春巡業を休場してからは、トレーナーをつけてジムに通った。
東京に戻ると稽古場で四股、すり足、てっぽうを繰り返した。効果はすぐに出た。
小結だった2場所後の00年夏場所は14勝1敗で初優勝。
関脇に返り咲いた同年名古屋場所は11勝4敗で終え、昇進の目安となる「三役直近3場所33勝」を達成した。
武双山に2場所遅れて大関に昇進した。

  自分の体と向き合い、今までのやり方を見つめ直したからこそ7度目の挑戦にしてつかんだ大関昇進。
だからこそ、大関とりに必要な「心・技・体」において、最も重視するのは体だと力説する。
「体を作ることで自信をつけるために、稽古をしなくちゃいけない。
どんだけ気持ちが強くたって体が強くないと勝てない。
技があっても、力がなければ生かせない」と力説した。

   ( 日刊スポーツ より )