今日は、一日、雨のようです。
やはり、雨で、外に出づらいのは、いやなものですね・・・。
「透析を止めた日」 堀川 恵子 著 講談社 1980円 (税込み)

筆者は、NHKに、ドキュメンタリーなどを、持ち込みしていた記者?です。
旦那さんになる人は、NHKのヂレクター?プロデューサー?・・・。
旦那さんが、生来の難病の方で、30代後半から、「血液透析」を必要となったようです。
50歳で、実の母親から、「腎臓移植」を受けて、体調は良くなったのですが。
仕事柄、無理をしてまで、という生き方をしてしまったんですね。
健康に気を付けた、生活、仕事の仕方をしていれば、もう少し、長生きできたのに、と思います。
この本を読むまで、「透析」をしている人は、何人かは見てきました。
みんな「土色の顔」をしていましたが、普通に、元気なようでした。
ただ、「透析=延命装置」とまでは、思っていなかったように思います。
一生「透析」するものではなく、最後は「透析もできない状態→苦しんで亡くなる」は、知りませんでした。
病院は、「透析すればビルが建つ」といわれるほど、たくさんの健康保険料が、いただけるようです。
そうなると、「患者の意識が無くなっても、透析をつづける」病院も、多くあるようです。
筆者は、①透析患者の終末医療がない、②腹膜透析という自宅でできる透析が、説明されない。
を、問題提起しています。
「終末医療」は、日本では、「がん患者」と「重症の心不全の患者」のみ。
「血液透析」の患者は、「止める」と、体の中に水が溜まり、「溺れるように」苦しんで、亡くなるよう。
お腹に管を通す、「腹膜透析」なら、自宅で、眠るように往生、できるよう、です。
ただ、病院としては、「儲からないし、往診など、面倒くさい」から、勧めないよう。
「透析」で、経営が、維持されている病院、って、たくさんあるようです。
筆者夫妻は、「高所得者」です、普通の人は、どうしているのだろう?と、思いました。
sこの記事をシェアす
四十年近く前、娘が生まれたとき、若いころからお付き合いしてきた。
俳人の黒田杏子さんに名前をつけてもらった。長らく日経俳壇の選者だった人である。
三年前に生まれた息子は私の俳句の先生につけてもらった。なぜ子どもの名前を自分でつけないのか。
わが子といっても「授かりもの」の感じがしきりにしたからでもあるが。
自分たちで名前をつけて一家だけで完結してしまうのがどうもつまらない。
そこで人生の先達にお願いして、家族の中に別の世界を招き入れようと思たのだった。
黒田さんからは「藍生(あおい)」とのびのびと墨を走らせた半紙が送られてきた。
雑誌「暮らしの手帳」の創刊者、花森安治さんのお嬢さんが藍生という名前だそうで。
「初めて会ったとき、なんてすてきな名前だろうと思ったの、。人柄も素晴らしい日人よ」と。
いつもの熱烈な口調が電話から響いた。 「藍が生まれる」と書いて藍生。
たしかにこの名前だけでもすばらしいが。さらに花森とと組み合わさると。
花、森という字と響き合って樹木たちがいろいろな花を咲かせる深い森の風景が浮かんでくる。
( 日経 文化 より 「名前をつける話」 )
