今日も、いい天気になりました。風が、ちょっと、冷たいですね。
桜が、昨夜の雨で散ったようで、木によっては若葉の緑が、目立つようになってきました。
「週末の過ごし方に悩んでいます。家事をして、ジョギングをして、掃除・洗濯をして。
猫の世話をして、仕事、読書、風呂でデトックス…と計画を立てますが。
全然こなせず、イライラを募らせて終わってしまいます。
週末がやってくるのが憂鬱に思うほどです。
『やらないこと』を決めるのが大事とは思いますが、うまくいきません。」(東京都・40代・男性)
( 日経 なやみのとびら より )
〇 「全然こなせず・・・」というところに、なんかイヤな、感じがします。
40代ですから、中間管理職かもしれません。
いやあ、こういう人の下では、イヤですね。
几帳面な人かもしれませんが、「すべて、やろう」とするから、「未完」が許せないんでしょう。
こういう人は、「他人にも求めます」からね・・・。
「できることだけ」やればいいんじゃないでしょうかねえ・・・。
そして、「他人は他人、自分は自分」として、完璧は求めず、「60点でいい」と。
他人が、充実した週末を送っているから、自分も、なんて考えなくていいんですよ。
※ 回答者の著述家・プロデューサーは、「自分は何をしたら面白いと感じ、良い気分になるのか」
それを、あぶり出すのが重要、と言っていましたが・・・。
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ただ、カルチャーショックが大きかったのはむしろ、日本に帰国した時だった。
まず、なぜか本来より1学年下になったのだ。なにより横並びが徹底された日本の学校の習慣には面食らった。
ある時、1週間分の宿題をまとめて提出したら先生が怒り始めた。
「ここは日本。アメリカじゃないんんだ」と言われたが、いまだに意味が分からない。
「なんで僕たちが掃除するんですか」と聞くと怒鳴られた。
米国の学校にはたいてい掃除の方がいるので、素朴な疑問として聞いただけなのに。
髪形や服装まであれこれと口出しされることには、憤りを通り越して子供ながらにあきれたものだ。
私はこの後、父の転勤にともない10代を通じて日本と北米を行き来することになる。
4年間のニューヨーク生活の後に日本に戻り、小学6年になるとカナダのトロントに。
2年半で東京に戻ってしばらくすると、次の行き先はサンフランシスコだった。
どこに行っても大なり小なり異なるカルチャーにぶつかる。
どこに行っても周囲から異分子と見られ、孤独の中から前へと進むことになる。
いつもそうだった。振り返れば貴重な経験であり、「『異』なるものの力を取り込むという。
経営者としての信念の土台になったと思う。
( 日経 私の履歴書 より 平井一夫 ソニー元社長 )