今日もいい天気になりました
ちょっと気温は低めですが、行楽日和です。
このまま、コロナも収束してくれたらよいのですが・・・。
ランニングコースと風景 ③/3
⑧ 日羅公之碑の近くに、「源八渡し跡」という碑があります。
江戸時代元禄末(1700ころ)、すでに存在していた記録が残っているそうです。名の由来は不詳。
大川(旧淀川)の左岸・都島側は農村で京街道にも近く。
右岸は天満組で大坂城代配下の与力などの役宅が並んでいたとか。
桜の名所があることから大へん賑わっていて、上流の「平田の渡し」と共に有名であったそう。
昭和11年6月架橋され、それによって渡しの使命は終ったが、橋名が源八橋に。
⑨ 昔、堂島の米取引所があった近くに、「天満の子守歌の碑」があります。
子を背負った女の子像と、子守歌が刻まれた石碑が、佇んでいます。
子を背負った女の子像と、子守歌が刻まれた石碑が、佇んでいます。
心に残ることば May ③
” 日本のサッカーを日本化する ”
ところが、随行の百済人に、二重スパイの疑いをかけられ、難波の宿館で暗殺せられたようです。
80歳にもなる日羅を、敏達天皇が召還した理由は牧村史陽氏の『四天王寺』に。
「日羅は肥前(※正しくは肥後)葦北の国造阿利斯登(ありしと)の子で、宣化天皇2年(537)百済に渡り。
そのままとどまって百済をたすけ達率(たちそち・正二品)という位にまでのぼったが。
任那が滅亡したのち、たきの敏達天皇は、わが国の朝鮮に対する政策と、任那の復興につき。
現地の事情を聴取するため、使いを出してこれを召還せられた」と。
年に一度、神主やら関係者が、この日の前で儀式をしているところを見かけます。