10人ほどの方から聞いたのは「戦争が終わって平和に暮らす私たちが。
なぜこんな目に遭うのか」という悲痛な声だった。
日本に帰ると、被害者への謝罪と補償を求める要望書を日本政府に送ったりした。
毒ガス被害の対処治療法を中国に送ったりした。
そして中国の被害者の方に日本で証言してもらえることになった。

  98年、遺棄毒ガス被害者の李国強さん夫妻が広島空港に降り立った。
乗り合わせた人によると「中国に大変な被害を与えた日本に来てよかったのか不安だ」。
と李国強さんは話していたという。
  私たちは誠心誠意尽くすことを誓い、2人の証言活動を支えた。
1週間後、帰り際に「日本人を恨んでいたが、憎むべきは戦争だった」と言われたことを覚えている。。

          ( 日経 文化 より 毒ガス製造の島 語り継ぐ )