高校3年の時、母が脳卒中の後遺症で言語障害と右半身不随になったが。
看病しながら一浪の末に大学に合格した。

  父とは確執はあったものの、母が倒れて私自身も諦めかけた進学を後押ししてくれて感謝している。
共働きだった家計は父の収入だけでは母の治療費やきょうだい3人の学費は賄いきれない。

  私は貸与型の奨学金を得てアルバイトもした。
そのお金だけで大学に通いきること、母の介護と学業を両立することが大学生になった私の課題だった。

  自宅に帰ってきた母にはできる家事は何でもしてもらった。
家族も24時間ついているわけではない。

  「できないことではなく、できることを数える」「母を母として扱う」。
私が心に決めたことだった。

   (  日経 向き合う より  町 亞聖  フリーアナウンサー  )