国鉄時代から九州を走る車両は、東京などから回されてきた「お古」だった。
施設への投資も後回しにされがちだった。そんな条件下でJR九州は誕生した。

それから36年。三島のうち北海道、四国のことはた語る立場にない。われらが九州はどうなったか。
誰もが「そんなことができるわけがない」と思っていたことを2度3度とやってのけた。

  その代表が豪華寝台列車「ななつぼしin九州」だ。まだ世界に存在しない最高の列車を造るために。
デザイナーとエンジニア工場で主張をぶつけあった。大手の航空会社や老舗ホテルからは。
世界一のサービスを提供するため転職してくれた人もいた。
後に他のJRも似た列車の運行を始めたようだが、何となく誇らしい気持ちになった。

上場もなしとげた。本州3社さえ上場できれば分割民営化は成功と言われた中で。
時間こそかかったが、九州も上場し、名実ともに自立した企業となることができた。

私は「気」という言葉が好きだ。気に満ちた店や組織は人を呼び、成長する。
屈辱をバネに私は本気で仕事をし、仲間たちも応えてくれた。
( 日経  私の履歴書より  唐池恒二  JR九州相談役  )