会社勤めの人たちは節目の年齢になると、仕事人生の残りの時間に思い至るという。
年を重ねれば選択肢や可能性は広がるよりは狭まっていく。
そりゃあ、僕も似たような思いがよぎることはある。
契約を結べるキャリアを続けられるか、体に高い負荷をかけて大丈夫なのはあどれほどか・・・。
残りの時間の意識が、同じ一日をより貴重なものに感じさせるのかもしれないね。

  「実績も名誉も手に入れて、キングと呼ばれ、普通にしていれば生活もできて敬意も払われるのに。
なぜわざわざ難しいところへ行くの?」。
知人は、ポルトガルに渡る僕を「理解しがたい」と苦笑いしていた。

  周りからしたら、満ち足りていると見えるのかな。
でも本人からすればそうでなく、あれもこれも足りないという感覚に襲われる。
そろそろ休んでいいのかもしれないけれど、枕を高くする気にはなれなくて。
サッカーに全力で当たる営みを休んでしまったら、自分が終わってしまうんじゃないかと思う。
若い頃からそうだった。カズは何をしていても何歳になってもカズだ、とからかわれそうだ。
  (  日経  サッカー人として  三浦知良  より  )