横尾氏も参加は承諾したが「人類の進歩と調和」というテーマは受け入れられなかったそうだ。
なんとか裏切ることはできないか。

  任された「せんい館」の構想を練るうち、建物を未完のまま「完成させる」アイデアを思いつく。
周囲に工事用の足場を残し、建築のプロセスをそのまま作品として披露する。

日米繊維交渉に忙殺されていた東洋紡の会長、谷口豊三郎氏に直談判して説得、プロジェクトを実現させた。
当時33歳。前衛グラフィックデザイナーが手がけたパビリオン、いま見ても抜群にクールでかっこいい。

スキーのジャンプ台に似たスロープ上の屋根から、真っ赤なドームが顔を出す。
同色のパイプで組んだ足場の上にはヘルメットを被った人形が何体語っている。

  遠くから見ると、作業中に見えただろう。
予算がなくなって放置されたなど散々に言われたらしい。

  そのころを振り返り、横尾氏が昨年、週刊朝日に記していた。
来年4月に開催する大阪・関西万博も準備が遅い、間に合うのかとしきりに心配されている。

  だが横尾氏は言う。
人間は「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ。こてでいいではないか」と。

  ( 日経  春秋 より  )