その逆、「若害」もしかり。どんな時代にも年上に反発する若者がおり。
「今の若者は」と苦言を呈する年長者もいたわけで、そうなりがちな間柄とも思う。

   道の真ん中をご老人がゆっくり歩いていて、通りづらい。
いつからか、そんな場面で億は「自分もいずれそうなるのだから」と受け止めるようになった。

   機内や車内で赤ん坊が泣き叫べば、うるさい。でも誰だって自分もそうだったのだから。
人間って、自分がその存在に近づかないと見えてこないものがあってね。

   「ベテランなど要らない」と話す若い人々も、プロとして歩むうちに。
熟練者の価値や意義を彼らなりに理解していくだろう。

   おおらかさや寛容、認めるべきを認め感受性をお互いに持っていたい。

     (  日経  サッカー人として より 「『老害』決めつけないで」 )