外務省では国を背負っているという強い意識を持った多数の官僚がは働いていて刺激を受けた。
それを束ねてリーダーシップを発揮し、国のために成果を上げるには。
政治家としてよほど高い見識と経験・人脈が必要だ。
自分はそのような政治家にはなれない、産業界で自分なりの仕事をすべきだと改めて決心した。

  話を82年に戻そう。総理府からサントリーに戻る際、経理部門で予算管理をなりやってみたいと思い。
ノースウエスタン大入学時に相談にのってもらった山本義博さん(後に日本ハインツ社長)に。
意見を聞くと財務部を勧められた。理由は「木下さんという部長がすばらしいから」。
「会社は人やで」の一言だった。

  希望通り財務部に配属され赴任日に挨拶にい聞くと給湯室の前で中年のオジサンに。
「よう、中山か。よろしくな」と声をかけられた。その人こそ木下毅さんだった。
      (  日経  私の履歴書 より  中山譲治  第一三共常勤顧問  )