今朝は、まだ、雨が落ちてきていません。
予報では、朝から雨だということで、ランニングは休もうと、遅く起きてしまいました。
いやあ、これなら走ることが出来たなあと、ちょっぴり後悔しています。
大川(旧淀川)沿いの、桜も一気に咲き始めました。まるで、この「時期」を逃すまいとするように。
昨日は、大阪で、25・2℃、今年初めての「夏日」になりました。
今日は、雨の予報なので地下鉄に乗り、アルバイト先に行きました。
試しに、マスクをつけないで乗車したら、どうなるか?と、アクションを起こしました。
私が乗った車両に、私以外に3人が、マスクをしていませんでした。
もう、「マスクをつけて下さい。」という車内放送はありません。
それでも、ほとんどの人が、「少数派(ノーマスク)」になりたくないと、マスクをつけているようで。
私にも、「直接の視線」は、感じませんが、なんとなく「気まずい」空気感は漂いました。
私以外の、ノーマスクの3人は、いずれも20代の若い男女。
1人は、同志社大学・ラクロス部の女の子(背中に表示・スポーツウエア着用)。
もう一人も女の子で、座席に座っていました、3人目は男の子、スマホを見ながら立っていました。
だれも、「少数派」には、なりたくないんですよね。
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3大会ぶりの世界一奪還に日本中が歓喜した。
米フロリダ州マイアミで行われた「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の決勝で。
日本代表「侍ジャパン」は米国を3―2で破り、14年ぶり3度目の制覇を成し遂げた。
「子どもたちに大きな夢を持ってもらいたい」と臨んだ日本代表の栗山英樹監督(61)も喜びをかみしめた。
栗山監督は7年間の現役生活の後、スポーツキャスターや大学教授を務め。
2012年から北海道日本ハムファイターズを10年間率いた。
指導者としての信条は、選手に思い切りプレーさせることだ。
長い指導者生活で、選手が好機で三振しても守りでエラーしても、怒ったり非難したりしたことは一切ない。日本ハム監督就任当時、球団のゼネラルマネジャーだった山田正雄さん(78)は。
「自分が悪いと言って、選手のせいにはしない。
冗談でも『お前のために恥をかいた』などと言わなかった」と振り返る。
根底には自身の経験がある。東京学芸大からドラフト外で1984年にヤクルトスワローズに入団。
同期には新人で開幕投手を務めた高野光投手(故人)ら精鋭がおり。
「レベルが高すぎて、ここに来ちゃいけないんだと思ってしまった」。
憧れていたプロの世界で厳しい現実を突きつけられた。
救ってくれたのが、当時の二軍監督だった内藤博文さん(故人)だ。
「人と比べるな。お前がちょっとでも良くなってくれたら、それで満足だ」。
他の選手と比較し、自分はできないと思って余計に苦しむ。
悪循環に陥っていた中で、大事なのは自分自身が少しでも成長しようとすることだと気づかされた。
努力が実り、89年には外野手として守備の名手に贈られるゴールデン・グラブ賞に選ばれた。
めまいや吐き気、耳鳴りが続く「メニエール病」に悩まされて引退。
プレーに集中できないつらさは身にしみて知っている。
「勝ち負けの責任は自分にある。怖がらずに思いきって野球をやってほしい」と言い続けるのも。
選手には失敗を恐れず、持てる力を存分に発揮してほしいからだ。
不振が続いていた村上宗隆選手(23)について問われても。
「ただひたすら信じて前に進むだけ」とかばい続けた。
優勝を決めると選手たちに胴上げされ、10度宙に舞った。
それでも、自身が代表に抜てきしたラーズ・ヌートバー選手(25)と抱擁を交わした後。
自ら深々と頭を下げた。「監督は何もしていない。
コーチ、スタッフ、選手が命がけでやってくれ、ただただうれしく思う」。最後まで脇役に徹していた。
( 読売新聞 より )