勘十郎さん曰く、「人形になりはるんやったら、人間捨てなあきません」。
人形に魂を入れるのは人形遣いである。

   人間としての「我」を捨て、心身を空っぽにしてなければ人形にはなれない。
私は自分の両腕と両足を封じた。

   代わりに、勘十郎さん自らが制作した「人形浄瑠璃」用の人形の手が使用された。
右手と頭は面遣いの勘十郎さんが操作する。

   頭は自前の私の顔を使ったが、勘十郎さんが首の後ろから指圧の要領で。
顔の向きや傾きを指示してくれた。

   人形の左手は左手遣いが、そして足遣いが着物の裾裁きによって足を表した。
人間は自分の自由意志ではなく、もしかしたら人形のように。

   何か人知を超えた大きな力に操られているのかもしれない。私が人形になってたのではなく。
そもそも人間自体が人形なのではと実感できる「悟り」に近い体験であった。

 

       (  日経  私の履歴書 より  森村 泰昌・美術家  )