今日は、曇が広がっています。
それでも、大川(旧淀川)沿いにある、旧桜宮公会堂では、結婚式の披露宴の賑わいが、聞こえていました。
昨日は、期日前投票に、行ってきました。
別に、日曜日に行ってもよいのですが、時間がある時に、済ませておこうと思ったからでした。
北区役所を入った、すぐ右に、投票所が設置されて、結構多くの人が投票していました。
「投票日」でしたら、「出口調査」をしていたりしますが、ここではなかったですね、さすがに・・・。
小選挙区と比例代表、そして、最高裁判所・裁判官の国民審査。
この、「国民審査」っていうの、何とかならないものでしょうか、ねえ。
「審査」といっても、「×」をつけるか、「何もつけない」か、これって、どうなんでしょう?
「審査」している感じが、「まったくしない」ん、ですけれども・・・。
「審査される裁判官」も、政見放送のように。
「どんな考えで裁判しているのか」を、国民の前で、会見してほしいですね。
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まずは苦手な人が近くにいる時の対処。
本能が敵と判断した時、動物は大きく2つの対処を行う。闘争もしくは逃走。身を守るためである。
ただ私たちの通常の社会では、お互い命を奪い合うことはない。
敵か味方かと二分する必要がない生活を営んでいるのだ。であれば中間の概念を設けてみる。
つまり「好きか普通か」である。「嫌」と感じた後に「普通」と意図的に本能判断を塗り替えてみる。
それでも、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという時は、「本来の目的」を再考してみてはどうか。
ここにいるのは学習するため、仕事を成し遂げるためだからと。
「気分本位」から「目的本位」への変換である。
そして苦手な人が近くにいないときの対処。
「なんであんな言い方をするのか」など、過去に脳内に入った情報を。
まるでお手玉を回すかのように何度も考えてしまう。他人の考えは他人の持ち物。
自分の脳内に答えはない。
自分の人生機関の多くを削ってでも、考えるべき大切な人物か、と判別してみるとよい。
( 日経 元気の処方箋 より 「苦手な人のことを考えても」 )