小松左京の「戦争はなかった」は短編の名作だ。
戦時中に中学生だった男が戦後、同窓会に出向く。

   酔って軍歌を歌うのだが、分かるものがいない。予科練の話も通じない。
実は誰一人、先の大戦を覚えていないのだ。友人らは言う。「戦争なんてなかったんじゃないか」。

   男は必死に戦争の痕跡を探す。が、書物や新聞からも消えうせている。
自身はだんだん薄れていく。本当のなかったかも。

   社会が問題なく回っている以上、どうでもいいことなのでは。
しかし男の心は、それでも否と叫ぶのだ。

   破壊と殺戮、魂の苦悩、あの惨劇の記憶がない世界は、痛切な何かか決定的に欠けている。

     (  日経  春秋 より  )