くもっていると、肌寒く感じられます。
正代が大関陥落になってしまいました。御嶽海も、1場所で、大関復帰はならず。
”熊本県出身力士で初優勝、58年ぶりの大関誕生”、とか、” 雷電為衛門以来の~ ” とか・・・。
それらはどこに行ってしまったんでしょう??
一方、” 予選リーグ突破は難しいだろう ” といわれていた、日本はドイツに勝ち。
「オレも、あるいは勝つと思っていたよ~」なんて輩も出てくる始末。いやいやいや、まったく・・・。
結果は「運」にも左右されますよね・・・。
「好天」の時ばかりのファンではなく、「荒天」の時でもファンでありたいですね。
コーチとしてのキャリアを積んだ森保氏は2012年にサンフレッチェ広島の監督となり。
その年にJ1年間優勝。2013年、2015年も優勝し、監督就任から4年間で3度のリーグ優勝を果たした。
当時、主力選手として監督を支えた森崎和幸氏は、「チームの一体感が強かった」と振り返る。
「森保さんの凄さは一言で言えば、全員に同じ方向を向かせるリーダーシップでしょうか。
勝っても負けても一喜一憂せず、“神は細部に宿る”という言葉をよく口にし。
『コツコツと目の前の試合に対し、最善の準備を重ねるように』と森保さんが指導していたから。
チームがまとまったし結果的に3度の優勝ができました。
現日本代表がW杯最終予選で苦戦してもチームがバラバラにならなかったのは。
森保さんの手腕によるところが大きいと思います」
自らは目立たず選手を信じ、チームの結束を重視する指導で頂点に立ったが。
必要とあれば厳しい態度を隠さなかった。
2015年のシーズン中、森保氏は絶対的エースの佐藤寿人を後半途中からベンチに下げ。
当時若手だった浅野拓磨(28)を投入した。野村氏が振り返る。
「佐藤が試合中に投げやりなプレーをしたことに激怒して即交代させ、次の試合にも出さなかった。
森保が選手に何より求めるのは、気を抜かず一生懸命プレーすること。
前後半の90分だけでなく、延長を含めた120分の最後まで走り回って相手を圧倒するのが。
森保サッカーの原点なのです」
( ※週刊ポスト2022年12月9日号 より )
ただ、休暇も取れない人も、外国に行けない人も、たくさんいますから。
お金を持っている人と、持っていない人の差が大きくなっているんですね~。
けっして皮肉ではなく・・・。