今日は、曇り空が、広がっています。
今日は二十四節季の「穀雨」。冬の間は閑散としていた田畑に、恵みの雨をもたらす時期とのこと。。
昔から農業を始めるのには「穀雨」を目安としてきたようです。
田んぼに水を張り、田植えの準備を行ったり、畑に麦の種まきや夏野菜の植え付けを行ったりするなど。
本格的に農業を始める時期にあたるそう。
昔から農家は、穀雨の時期にしっかり準備をすると、その年の収穫が豊かになると信じられてきたとか。
また、二十四節気は中国から伝わってきた暦であるのに対し。
日本で作られた暦には「雑節」があります。
その雑節の一つ、5月1日の「八十八夜」は、茶摘みの頃ですが、田植えの目安とのこと。
「穀雨」の期間に入っているのもうなずけます。
なお、「八十八夜」は、立春から数えて八十八日目で。
八十八という感じを組み合わせると「米」という文字になることや。
「八」は末広がりで縁起が良いということから、農業にとって縁起が良いとされてきたようです。
「言葉を愉しむ」 齋藤 孝著 河出新書 1100円(税込み)
この本は、斎藤先生の本で、読みやすくて、面白いです。
文明は、「言葉」によって、継承され、発展してきた、という話は、確かにそうですね。
この本の中で、よく登場する「言霊(ことだま)」、言葉に「魂」が、宿っているは本当でしょう。
「本を読むこと」や「日記らしきものを書くこと(日記といってしまうと、気楽に書けないから)」のすすめ。
書物(のことば)によって、1000年も前の人と、意思を通じ合ったり、生活を体験出来たり。
「感動する言葉」によって、励まされたり、人格が形成されたり。
「言葉」によって、「文化も社会も成り立っていること」は、うなずけます。
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ひと昔前、日本の一般家庭でも自ら包丁を研ぐのは当たり前だった。
そんな光景は徐々に失われつつあるが、その文化を大切にしたいと考える人は少なくないようだ。
3月のある土曜日、かっぱ橋道具街の包丁専門店、かまた刃研社を訪れた。
「包丁研ぎ教室」を月に2回開催している。
午前の教室は「入門編」で、この日の参加者は20~50代の男女9人。
社長の鎌田晴一さんによる包丁の構造や砥石の種類の説明を聞いた後、実践に移る。
事前に切れないよう加工したステンレス製の三徳包丁を用意し、各自に研いでもらう。
「コインが1~2枚入るくらい峰(包丁の背の部分)を浮かせましょう」
「ぶれないようになるべく大きなストロークで」。
鎌田さんのアドバイスを聞きながら、真剣に手を動かす参加者たち。
教室にシャッ、シャッという小気味のいい音が満ち、、質問もひんぱんにあがる。
研ぎ終えたナイフを紙にあてる。すっと切れた瞬間、オーッと歓声がった。
50代の女性はビフォー&アフターの変化に驚いた様子で、「帰ったらさっそく自宅の包丁をすべて研ぐ。
次は応用編に参加したい」と話していた。
教室は毎回、応募開始から1分で定員が埋まってしまうという。
「いい包丁を買えばメンテナンスをして大事に使おうという気持ちになるし、充実感も感じる。
そんな意識を持った人が増えているのではないか」。鎌田さんはこう分析する。
砥取家の土橋さんも同じような話をしていたが、使い捨て社会に対するアンチテーゼをいえるかもしれない。
鎌田さんに上手に研ぐコツを尋ねると、「結果を早く求めてはいけない」。
刃先をとがらせようと気がせいて角度をつけすぎると、切れ味が長続きしないそうだ。
じっくり根気よく。仕事や人生にも通じそうな言葉ではないか。
そんな奥の深さも人々をひき付ける魅力だろうか。。