今日は、ちょっとだけ、冬型が緩みましたね。ちょっとだけ、日差しの温かみを感じます。
街に出てみると、さすがに中国人が、ほとんど見られなくなりましたね。
賢い中国の人は、政府に逆らったら、大変なことになる、と心得ているんですよね。
「豊臣兄弟 天下を獲った処世術」 磯田道史 著
文春新書 1045円 (税込み)
今日から、NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」が、始まるんですよね。
私は、テレビはあまり見ませんので、磯田先生の本を、読んでみました。
読んでみて、秀吉と秀長は、異父兄弟であること、秀長と名乗ったのは、信長の死後。
秀吉が、長秀→秀長に改名させて、信長の時代→秀吉の時代を印象づけるものだった、とか。
信長につかえたのは、秀長の方が先で、しかも、秀吉よりも、階級は上だったとのこと。
秀吉は、秀長に最重要拠点を任せられたので、仕事がしやすかったようです。
とくに、紀伊半島は、昔から、壬申の乱やら、南北朝の時代など、脚光を浴びる土地柄でした。
根来集や雑賀衆は、鉄砲使い・製造、鎧兜・武具の生産、熊野水軍の造船力、文具・清酒といった。
当時のハイテク産業の中心地であったので、秀長を、大和郡山におき、治めさせたのでした。
秀吉は、「生野銀山」を、信長から任せられ(金づるを得)たのが、大きいですね。
秀長も、「奈良借し」という、高利貸しで、産業を発展させた(金を集めた)ようです。
秀吉は、秀長という信頼できる人物がいたからこそ、その能力を発揮できたのでしょう。
秀長が亡くなると、豊臣は滅亡へと、進んでいきました。
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だが、旅の面白さは、少なくとも町歩きの面白さは、単に目的地に早く着くだけでな。
汗をかいたり、道に迷ったり、とんでもないところに出てしまったりといった過程の中にあるものなのだ。
そうしたことによって、道を教えてくれる土地の人と触れ合ったり。
思いもかけない土地や建物に遭遇したりする。
もしかしたら、グラブは旅の強い見方であると同時に、敵でもあるのではないか・・・。
こんな話を、ある酒席でしたことがあった。
すると、そこにいて、直後にタイのバンコクに行く用事があったという若い会社員が、帰ってきて。
グラブは本当に便利でしたと言い、こう付け加えた。「まるでどこでもドアでした」。
私は、言い得て妙だと思った。『ドラえもん』に出てくる「どこでもドア」は。
そのドアを開けて足を踏み入れるとすでに目的地についているという「ひみつ道具」のすげれ物だ。
グラブも、滑り込んで来た車のドアが開くと、乗り込むだけで目的地まで連れていってくれる。
まさに「どこでもドア」である。だが、そこには「過程」という大事なものが存在んしない。
( 日経 文化 より 「敵か、味方か」 )