やり過ごす

生活

  高校野球が”近畿大会”になってしまいました。
ベスト4が、すべて近畿の高校。
  ほかの地域も、頑張らないといけませんね。

   手のひら健康法

  ”手のひら健康法( 足利 仁著 )”という本を以前読みました。
足の裏は、すぐに出すということができません。

  しかし、手のひらは、すぐに見れます。
体中の神経の末端が、手のひらに来ていますので、具合が悪いところがわかります。
血色であったり、硬さであったり。

  私は、読後、目が悪いので、左右の人差し指・中指の、第一関節を朝晩、むぎゅーっと押しています。
少しは、効果があるようです。
  眼圧も安定しています。

 

  心に残る言葉 August ㉖
       ”やり過ごす”

  また一つ年を取った。
この年齢になると、月日のたつのが早い。
朝六時に目覚めて、もうひと寝入りというと九時、十時になっていたり。
明日と思っていた仕事が今日だったり、時間に置いて行かれるケースが増えた。

  時が早く過ぎるのはこちらの動きが鈍ったからだろう。
選手生活の最後のあたりは体がボールのスピードについていけなくなった。
そういう現象もが脳にも起こる、つまり老化だ。
万事がスローモーションになってしまうけれども、悪いことばかりではない。
心身の動きが鈍ったことにより、かえって危難をやり過ごすせるようになった気もする。

例えば、昨今は道ですれ違うときによけない人が増えたが、自分が動きを止めれば、衝突しなくてむ。
要は張り合わないことだ。

  若いうちはこれができなかった。
西鉄というチームは身内に厳しいところだった。
凡打してベンチに帰ると、無遠慮に軽蔑(けいべつ)のまなざしを送ってくる選手がいた。
こちらも「いやあ、相手の球がおじぎしちゃって」などと、とぼける知恵も持たず、いちいちカチンときた。

ぎすぎすしたムードになったのはおそらく、私が、あたり構わずそういう視線を投げかけていたからでもある。
それが西鉄の強さの源でもあったが、まあとにかくどうでもいいことが原因で人とぶつかったものだ。

  昔は人の好き嫌いも激しかった。
ところが今、気付いてみると、私は自分が好ましいと思う人ばかりに囲まれている。
私のアクの強さに耐えかねて、去って行った人もある。
そういう”淘汰”を長年繰り返しているうちに、気の合う人間だけが残った。

  だがそれだけではない。
人の箸(はし)の上げ下げまで気になって注意していた私が、見て見ぬふりをできるようになった。
そうこうしているうちに、自分がどんな人間が嫌いだったか、という好みまであいまいになってきた。
これがとぼける、やりすごすということの利点。
何かとぎすぎすした社会は、こういう技術をどこかに忘れてきたかもしれない。( 豊田 泰光 )

  ”やり過ごす”という言葉がいい響きです。
上手に”やり過ごす”ことは、生活するうえでの”知恵”でもあります。
私も、若いころから、小さいことにこだわって、そんな生き方をしてきました。
この言葉に出会って、少し、肩の力が抜けました。

 

  生活雑感 August ㉗
  以前は、パラリンピックを見ても、競技者が少ないから、メダルの価値があるの?
という見方をしていました。
  しかし、生まれつき、四肢が欠損していたとか、事故で障がい者になった人が、懸命にしている。
そういう姿を見ると、自然と涙が出てくるようになりました。
  何着でもいいから、よくがんばったよ、と励ます自分がいます。

 今日もよい一日でありますように