昨夜からの降った雨を、急いで乾かそうとするかのように、地表から水蒸気が上がっています。
遠くが、かすんで見えます。明日はかなり気温が上がるとか・・・。
「まだ、体が暑さに慣れていませんから、気負付けましょう。」という季節になりました。
アレ、レッという間に、巨人が最下位になってしまいました。
かたや、阪神は岡田監督になって、好調を維持しています。
原監督の「独裁」などと批判されています。
今まで「『全権』でよく行き届いている」なんて、言っていたくせに、これで、成績が上がってきたら。
「手のひら返し」で、評価が変わるのでしょうね。
まあ、世の中は「すべて結果論」、「結果」を出さないと評価されないんですね。
それは、スポーツに限らず、社会の活動全てにおいて言えることが、せつないですね。
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2013年のシーズン、大谷はルーキーながら開幕一軍入りを果たし、いきなり二刀流で活躍したが。
宇佐美氏は二軍暮らしが続いた。
時は流れ、大谷がケガのリハビリ明けで鎌ヶ谷の二軍グラウンドで調整していた2017年。
忘れられない出来事があった。
「フリーバッティングで勝負しよう」
大谷が宇佐美氏にそう持ちかけ、打席に入った。
「ケガ明けでどうなるかと思いながら勝負しましたが、翔平が打った打球は凄い勢いで飛んでいき。
反対方向の防護ネットの上部に突き刺さった。余裕で負けました(苦笑)。
あの打球は今も忘れられません」(宇佐美氏)
同い年の2人は寮でともに生活し、電車に乗って食事や買い物に行くこともあった。
しかし2017年オフ、大谷がメジャー行きを決める一方で、一軍経験のない宇佐美氏は「戦力外通告」を受けた。
その頃、食事に向かうタクシーの中で2人きりになったことがあった。
そこで宇佐美氏は思い切って胸の内を明かした。
「どんなかたちでもいいから、オレも一緒にメジャーに行けないかな」
そんな切実な願いに対して、大谷はこう答えた。
「一緒に来ても自分の成績が変わるとは思わない。1人で挑戦したいんだ」
宇佐美氏が振り返る。
「続けて翔平は、『塁大も1人でやってみて。手助けが必要な時には協力できることは何でもするよ』と。
言ってくれました。翔平について行って海を渡るより。
自分にできることを一生懸命やることが大切だよ、という意味だったと思います」
宇佐美氏は引退後、故郷の広島に戻ってカフェ&バー「BIG BASE」の経営を始めた。
「今も翔平の姿や言葉が心のどこかに残り、人間的な面で少しでも追いつきたいという気持ちがあります。
僕は翔平と出会ったおかげで新しい景色を見ることができました」(宇佐美氏)
( ※週刊ポスト2023年4月28日号 より )