武満さんが言う。「僕、冷房も扇風機も嫌いなんだ。ごめんね」。持った鉛筆が汗ですべる暑さ。
ふと見ると、グランドピアノの下に電気ヒーターがつけてある。
「真樹がどこかで鳩の卵を拾ってきたので、かえそうとしているんだ」。
真樹ちゃんは娘さんである。この暑さに、暖房?そりゃ、暑いわけだ。

  すこし経つと浅香さん(奥様)が叫ぶ。
「真樹が隣りの屋根にのぼっていて危ないから、徹さん、注意して」。
すると、徹さんが叫ぶ。「真樹、降りなさい!早く、降りなさい!」

  騒がしいウチだなあ、と僕はびっくりの連鎖だ。
やがて、夜。どうも、本当に徹夜になりそうだ。浅香さんが夜食のうどんの準備をしている。
鰹節を掻いている。ガリガリガリ・・・。
「徹さん、うるさい?ね、うるさい?」
「その、うるさいって聞くのがうるさいんだよ!」。面白いウチだなあ・・・。

  大作曲家のお宅でⅿ。僕はただただ驚きいるだけだった。
ごくふつうの夫であり、父親。そういう人だった。
   (  日経  私の履歴書より  池辺晋一郎  作曲家 )