4月には小学校に入学した。
景子は歩けなくなっても自分で車椅子を使って通学した。

   6月には転移が広がり、医師は「あと2から3週間です」と私と妻に告げた。
それでも景子は気分がよくなると「宿題するから起こして。次に学校に行くときに困るでしょ」という。

   練習帳に一画を書くごとに「ハーハー」と息をついて宿題を終えた。
私は「景子は死んでしまう。なんで頑張るんだろう」と思った。間違いだった。

   景子は生き抜いている子だった。
今できることを一生懸命するといにちは輝く。その輝きは死んでも決して消えない。そう教わった。

   脳圧が上がり、医師に鎮静剤で眠らせることをお願いした。
意識も感覚もないはずの景子に看護師は声をかけながら温かいタオルで体を拭いた。

   私は「どうみとるか」を考えていた。看護師は「どう寄り添うか」を思っていた。

   ( 日経 向き合う より 「生き抜くことでいのち輝く」 )