店に入ると、村上真さんというこの問屋の大番頭のような人がいた。
私は話しかけるでもなく暗い顔でうつむいていたはずだ。

   なにかを察したてくれた簿だろう。
「ちょっと行きますか」村上さんがお声をかけてくれた。

   近くの居酒屋のカウンターに並んでビールをひとくち。
私は思わずこぼした。「僕、先が見えないんです」

   会社も年代も違う跳ねっ返りの若造の身の上話に、村上さんは耳を傾けてくれた。
しばらくすると、村上さんは出来の悪い教え子を諭すように、こう言った。

   「そういう時は変に先を見たらあきまへんで」。
村上さんが例に出したのが、入荷の時期になると倉庫に山のように積まれる反物の話だった。

   一反ずつ服に必要な長さにカットして伝票を付けては出荷していく。
一反でスーツ20着分。気が遠くなるような作業を黙々とこなすのが問屋の仕事だという。

   残業代の代わりに出される素うどんをすすりながら。
「仕事というのはそういうものでっせ。初めから先ばっかり見たらあかんのですよ」。

     (  日経  私の履歴書より 岡藤正広 伊藤忠商事会長CEO )