「『私の国』に戻ってこられて本当に良かった」。
2月23日夕方、キーウ郊外の小さな公園でペロニカ・ビルコブス(35)は表情を和らげた。

   目線は絶えず、滑り台で遊ぶ一人娘のダニエラ(5)の姿を追っている。
2022年春、キーウ郊外のブチャでロシア軍による市民虐殺が起きたと知ると。

当時2歳だったダニエラを抱き、ウクライナ西部へ逃げた。戦争前に離婚して夫はいない。
避難施設を見つけたが受け入れが難しく、国境を超える決断をした。

  隣国ポーランドの避難施設にも空き部屋がなかった。仕方なく冷たい廊下に母娘で抱き合って過ごした。
美容師資格を生かし、借りたアパートで商売を始めた1年後、帰国を決めた。

   難民申請すればポーランドに住み続けられたが「両親もいる。
ダニエラはウクライナ人として育てたい」との思いが勝った。

   笑顔で雪の中を駆け回るダニエラだが、家では部屋の隅で小さくなり、震えが止まらないことがある。
空襲警報のサイレン音を極度に恐れ、病院に通うようになった。

   「娘にとっても帰国が最良の選択だったと信じたい」。
私の国が「私たちの国」でもあってほしい。そう願う日々を送る。

     (  日経  ウクライナ、戦時の葛藤4 より  「子の幸せ、きっと祖国に」 )