今日は、晴れて暖かくなりました。
天満に買い物に行く途中で、おばさんが子供を抱えているのかと思ったら、人間ではなく「犬」でした。
「犬」が、年老いて歩けないのか?、おばさんが、「犬」を「擬人化」したいのか?
よくわかりませんが・・・。
「貧困と脳」 鈴木大介 著 幻冬舎 1056円(税込み)
筆者は、「貧困」をテーマに、ルポライターとして、いろいろ書いてきたようです。
とくに、「最貧困女子」は、注目された作品だったようです。
「なぜ?貧困なのか?」を、追究してきて、分かったことがあった、と。
筆者自身が、「脳梗塞」になり、「高次脳機能障害」と診断された身から、分かったこと。
つまり、「計算できない」「申請書が書けない」「書いてあることが分からない」。
「考えていて、他の気の散ることがあったら、今何をしていたも、忘れてしまう」。
うーん、ちょっと、「障害」なのか?、「怠惰」なのか?、分からないですね・・・。
統合失調症であったり、うつ病であったり、そのことで、「脳が疲れやすくなっている」。
そうしたことで、「生活保護申請」も、できない、いろいろな煩わしさから、解放されるのは。
「朝から、パチンコ台に座っている時」とか。
筆者は、「脳梗塞」により、「高次脳機能障害」になり、「要因」がハッキリしています。
ただ、世の中の、「貧困にあえぐ人たち」は、どうなのでしょう?、疑問に思います。
確かに、「働きたくても、働く気になれない」、「分かっていても、できない」。
”「自己責任」だけでは、済まされない”という、筆者の言うことも、分かりますが・・・。
ちょっと、難しい問題です。読んでそう感じました。
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その一方、デジタルだけの味気なさを感じることも少なくない。
講演会や勉強会も、1~2時間ほどあればまだよいが、それ以上になると疲れてくる。
コロナ禍の始まりのころ、1日かけてオンラインで講義をしたことがある。
物珍しさも手伝い最初は快調だったが、話をしているうちにだんだんと疲れがたまってきた。
1日の終わり近くになると、体が疲れでいっぱいになったような不思議な感覚になってしまった。
人と交流している時、私たちは単に言葉をやりとりしているだけでないと思い知った。
その感覚を言葉で説明するのは難しいが、話し合っている時。
言葉以上のその場で共有している空気感が大事なのだと思う。
そういえば、一時話題になったオンライン飲み会も一気に行われなくなった。
息をは吐き、息を吸う、そうしたやり取りを通してお互いがつながりあう体験の大切さを改めて感じている。