なんくるないさ~

生活
  今日も、いい天気、コロナの感染者数が、減少していることは、なによりです。
これから、衆議院が解散して、騒々しく、なるのでしょうね。
     半径200ⅿ以内に、セブンイレブンが4軒 
  天神橋六丁目の浪花町側の、信号を中心に、半径200ⅿ以内に、セブンイレブンが4軒ありました。
池田町に1軒、菅栄町に1軒、天神橋筋の菅栄町に1軒、浮田町に1軒。
  こんなに、近くにあって、経営が成り立つのだろうか?と思っていました。
ドミナント戦略で、他を寄せ付けない、というのはわかりますが・・・。
  とくに、浮田町の1軒は、駐車場があっという間に、セブンイレブンになりました。
近くにもあるのに、と思っていたら、1年は持ちましたが、2年は持たずに、駐車場に戻りました。
  コンビニに行かないと、一日が始まらない、という人たちを作り出したのは、すごいと思います。
しかし、くだんの、浮田町のオーナーは、どんな気持ちで始めて、そして閉めたのかなあ、と思います。
   心に残る言葉 October   ④
      ” なんくるないさ~ ”

七十二歳で『ちゅらさん』のン出演、ドラマは沖縄ブームの火付け役になった。
とみが演じた沖縄のおばぁは、主役以上に茶の間の人気を集めた。
全国どこでに行っても「おばぁー」と声をかけられるようになった。
沖縄芝居で半世紀も積み上げたおばぁ役がぴったりはまり、万人の心を癒す存在になっていた。

魅力の一つは笑いにある。
これまでの労苦が刻みこまれた顔に、ぱっと笑いのが咲くと、何ものをも包み込むパワーとなる。
台風に何度も襲われながらへこたれることなく、「ナンクルナイサー(なんとかなるさ)」。
と言ってのける沖縄のおばぁたちの明るさが、そこには凝縮している。

とみの人生は、平たんではなかった、母子家庭で育ち、少女時代に役者に踏み出した。
1952年、一座の後輩、平良進と結婚。
沖縄芝居が映画やテレビに押され衰退する中で、役者を続け、97年には夫婦で劇団「綾船」を立ち上げる。
かたわら映画『ナビィの恋』などにも出演してきた。

5年ほど前までは、芝居で身につけた髪結いの技術を生かし、かなりの副収入を稼いでいた。
観光スポット守礼門で記念撮影に一緒におさまる着物姿の女性の琉球髪を結う仕事だ。
娘三人、息子一人、を育て上げ、今は孫が五人いる。
( 平良 とみ  日経  遅咲きのひと より )

  生活雑感 October ④

  今日から、ノーベル賞ウイーク、そうそう日本人が受賞とはいきませんが、ちょっと期待します。
子供の頃は、湯川秀樹、朝永振一郎、川端康成など、あまりいませんでした。
最近になって、ずいぶんと、受賞者が増えた感じです。
それだけ、日本の力が、評価されるようになったのでしょう。

   今日もよい一日でありますように

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