就職解禁日

生活
  昨日の雨も止んで、いい天気になりそうです。
一雨ごとに、気温が上がり、春になっていくのを感じます。
  就職解禁日に思うこと

  3月1日は、就職解禁日ですか・・・。
  私達の頃は、10月1日、もっとも、この日に、内定を決める企業は、ほとんどありませんでした。
それまでに、内定、内々定が出ていて、10月1日はセレモニーだったですね。
他社に行かないように、という日でした。

  大卒後は、100年以上も続く大企業に入り、なにを勘違いしたのか、その後、転職をしてしまいました。
外食系→アパレル系→教育産業→自営業。
  振り返ってみると、結局、” 組織 ” の中で、うまく泳いでいくには不器用過ぎた、と思っています。
上司と衝突したり、本音を言って疎んじられたり、まあ、世渡りは下手でした。

  伝統工芸とか、芸術とか、何か一筋に極めるような仕事が向いていたなと、今は思っています。
ただ、若い時は、自信満々で勘違いして、何でもできる、なんて馬鹿な男でした。
  組織の中で、上司にゴマを擦って、なんてことはできないと、早く気づくべきでした。

  そんな、若い頃の私と同じような、生き方の下手な若者が、今でも、必ずいると思います。
この道じゃなかったな?、と思っても、とりあえず、” 次の止まり木 ” だけは、確保してください。
  転職するときは、” 社宅のある会社 ” を、決めてから、移ってください。
” 住宅費 ” は、生きていくうえで、バカになりませんから・・・。
  もちろん、転職しないことが、ベストです。

  心に残る言葉  March ②
     ” 捕手が好きですから ”
  プロ野球は競争社会。
いくら二軍だといっても、全国から高校、大学の四番打者が集まってくる。
どうやったらライバルに勝てるかと考えたとき、一日二十四時間の使い方の問題だ、と思った。
昼間の練習はみんな同じメニューをこなすので、差はつかない。
だから合宿に帰ってから絶対に二、三時間は個人練習をやろう、と心に誓った。
鉄アレイを使った筋力トレーニングに加えて腹筋や背筋。
バットも一日に四百回、五百回と振った。
練習を終えるともうくたくた。
一日ぐらい個人練習は休もうか、となまけ虫が顔をのぞかせる。
だが、ノルマ達成へ「敵は我にあり」、自分との戦いだった。
  効果はなかなか出なかったが、三か月が過ぎたぐらいから遠投の球が延びるようになった。
「伸びた、伸びた」と成松も自分のことのように大喜び。
成松の位置がどんどん後方に下がっていくにつれ、肩に自信がついてきた。
  その年、二軍で一塁のレギュラーを取り、三割以上の打率をマークした。
しかし、シーズン終了後の秋季練習で「捕手に戻してくれ」と願い出た。
「何でや。そのまま一塁やったらええやないか」と松本監督は言ったが。
「捕手が好きですから」と私も譲らない。
「じゃあ、やってみい」と言われて捕手に入り、二塁へ矢のようなボールを一直線。
「お前どうした。ええボール投げるやないか」と監督は目を白黒。
それで捕手へ復帰を果たしたのだった。
(  野村 克也 )

     生活雑感  March  ②

  元サッカー選手が、「 ウクライナの大統領がロシアの言っていることに逆らわなければ良かった」。
韓国に土下座しに行った、元総理大臣が、「親ロシア派の武装勢力をウクライナが虐殺したからだ」。
公用車で別荘に行って辞任した、元東京都知事が「ウクライナの大統領は無能だ」。
元大阪知事が、「口で言うより、ウクライナに行って戦え」。
  まあ、平和な日本で、いろいろ言えることは、幸せです。
  一日も早く、戦争が終わりますように!!
  
  
  今日もよい一日でありますように
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