あめだべなあ

生活
  今日はいい天気になりました。
昨日が曇っていたので、外に出ていくのが面倒になっていましたが。
この天気を見ると、遠出をしておいても良かったかなと思います。
  暑くなるようですので、体調には気をつけてください。
     あめだべなあ
  京都に修学旅行に来た東北地方の高校生が、お土産物屋の前で。
「あめだべなあ」というと、店員のおばさんが「いいえ、これは『おもち』です」。
  「所変わると品変わる」といいますが、言葉の意味も違ってきたりします。
高校生は、「買って持っていく間に、『あめる=傷んでしまう』」と考えて言っているのですが。
店員のおばさんは、「原材料は、『飴ではなくお餅です』」と、説明しています。
  私も、関東地方の田舎出身ですから、関西弁の「いけず」などの言葉は、関西で初めて聞きました。
まあ多少、方言の違いはあっても、日本は恵まれた国だなあ、と思っています。
   心に残る言葉 May ㉒
    ” まあそういうつもりで看病しろ ”
  「これまで好きなことをさせてくれた父を一人にはできない。
そばにいて介護してやりたいと、そう師匠に告げ、一門を去ったと聞きました」。
そういう事情であれば仕方がない、仕方がないが残念ではある。
真打になった時よりも二つ目になった時の方が嬉しかったと多くの落語家が言う。
その二つ目がすぐそこだったのですから。
  そんな胸のしこりが幾分ほぐれた頃、Aの師匠に遭いました。
「残念だったねAは」と言うとキョトン ,「いや廃めたと聞いたからさ」
「えっ、そんな風に伝わったんですか」「違いうのかい」。
近くはあったが、話は大きく違っていました。
  「根が堅い男ですから、廃業して看病にあたりたいの一点張りなんです。
当人は筋を通したつもりでも、もったいないことは確かです。
まあそういうつもりで看病しろと言いました」
  「では辞めたわけではないんだね」
「1,2年経ってたとして、その間に二つ目にもならなければ見習いにも降格しない。
いつでも席は空いてるよと言ってあります」
  安堵で膝がカクンとなりました。
そうです、落語界の師弟のありようは概ねそういうものなのです。
弟子に事情があれば師匠が廃めさせるはずがないのです。
コロナ禍であちこちが壊れた落語界にあって、指定の関係が保たれていることを知ったのは。
ちょっとした喜びでした。」
(  日経  文化面より  落語家  立川談四楼  )
   生活雑感   May   ㉒

  照ノ富士はさすがに横綱ですね、ちゃんと優勝争いに残ってきます。
しかし、いつまでも、この満身創痍の横綱に頼るわけにはいかないでしょう。

      今日もよい一日でありますように
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