航空機の開発でハードルとなるのが、期待の安全性などに問題がないことを示す「型式証明」の取得だ。
主に試験飛行を繰り返して証明していく。
三菱重工にとっては1973年の生産が終了した「YSー11」以来の作業であり、このノウハウが欠けていた。

技能が途絶えていた影響は大きかった。
海外から招いた認証取得の専門家を開発全体の責任者に据えた頃から。
現場が混乱して事業化に暗雲が漂い始めた。

経営陣と現場の関係もぎくしゃくした感が否めない。
事業を担う三菱航空機の社長を本社主導で次々とすげ替えた。
背景には独立心が強い航空畑の幹部との主導権争いもあったとされる。

対照的なのが15年にビジネスジェット機を実用化させたホンダだ。
本社の経営陣が代わっても30年にわたって開発現場を支えてきた。
約40年前にアルツハイマー病治療薬の研究を始めたエーザイも。
創業家3代目の内藤治夫氏が研究開発の責任者、社長として一貫して開発をリードしてきた。

三菱重工は今回の失敗をきちんと総括し、次世代の様々な事業開発につなげるべきだ。
ほかの日本企業も三菱重工の教訓を他山の石として長期的な視点に立った挑戦につなげてもらいたい。
(  日経 社説  教訓残した国産ジェット機開発の失敗 より  )