今日は、雨のようです。
前線が停滞して、今週はぐずつくようです。
今日は、二十四節季の「雨水」。
雨水とは、雪が雨へと変わって降り注ぎ、降り積もった雪や氷もとけて水になる頃という意味。
実際にはまだ雪深い地域もありますが、厳しい寒さが和らぎ暖かな雨が降ることで。
雪解けが始まる頃です。凍っていた大地がゆるんで目覚め、草木が芽生える時期。
雨水になると雪解け水で土が潤い始めるため、農耕の準備を始める目安とされたようです。
ロシアが、ウクライナに戦争を仕掛けて、24日で、丸2年になります。
国連があり、NATOもあり、どうして、プーチンを止められないのでしょうか?
「イジメは良くない」なんて言うくせに、「世界ではイジメがまかり通る」。
これって、おかしいですよね。
「世の中は『正義』が、通用しない」が、常識なのではないでしょうか。
「正しいこと」って、いったい何なのか?
こんな暴挙は、一日も早く、止めなければいけません。
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私は育てられたとおりの家事のが苦手な人間に仕上がった。
40歳を過ぎるまで包丁も握ったことがなく、料理は出汁が必要ということも。
お肉が部位のよって味が異なるということも、気づかずに生きてきてしまった。
そのせいか、結婚後も世間に慣れるということがなく、スーパーマーケットに言っても。
野菜の艶や白さに心を動かされて、まともに買い物ができない。
艶やかな茄子を包丁で切るなんてとてもできない、と思ってしまう。
しかしこの結果は、私を家事の苦労から守ろうと必死になれない家事に挑んだ。
母の努力の証しでもあるのだ(逆効果だったけど)。
親のせいにするな。そう説教するひともいるだろうが、環境は子どもの力では変えられないので。
その意味ではやはり親のせいかもしれない。
幼年期に教わらなかったことを大人になってから努力して覚えても。
基礎がないのでしっかりとは身につかない。そのもどかしさは筆舌に尽くしがたいものだ。
( 日経 文化 より 母とわたしの「戦後」 )