アイヌの成人女性は、顔に入れ墨を彫るが、墨は時間の経過で薄くなって行く。
白黒写真では、目を凝らせばかろうじて確認できる程度だ。

   この写真では、和人にとってエキゾチックな入れ墨を。
白黒でもはっきり確認できるように誇張して写しかったのだろう。

   背後の家屋は不自然に見切れている。
実はこの写真が撮影された当時、この地域では既に、和風の板塀・板葺きの住居が少なくなかった。

   背景にそうした「アイヌらしくない」ものが写り込まないように、慎重に構図を選びぬいたのだろう。
並んだ男性が高齢者ばかりなのも、若い男性は髪を切り、髭もそり落としていたからだと想像がつく。

   風俗写真にこうした「演出」が施された背景には、日本政府の強力な移民政策のもと。
アイヌ民族が強い同化圧力にさらされていたことがある。

   例えば、北海道庁の1881年の人口統計によると、森村には当時80人のアイヌがいた。
早くから和人の定着が進んだため、アイヌと和人の住居が入り交じり。

   そこに住むアイヌは服も髪形も和風化していた。
同村のアイヌ民族を被写体にした風俗写真は1枚も見当たらない。

   和人が求める伝統的なアイヌ民族らしい姿ではなかったため、被写体に選ばれなかったのだろう。
後に、風俗写真の大半は白老など観光地化した地域や、興行の場面をとらえたものとなり。

   人びとの日々の暮らしは写されることもなくなっていった。
調査簿成果をまとめた著書「写真が語るアイヌの近代化」(新泉社)を3月に上梓した。

  風俗写真を見るとき、何が写されているか以上に、何が写されていないのか想像する態度だ大切だと思う。

 

       (  日経  文化 より 「アイヌ民族写真に潜む演出」  )