今日もいい天気になりました。
昨日までは、西高東低の冬型、今日は、南高北低の夏型の気圧配置になるとか。
「季節の変わり目」になりますと言っていました。
アベマで、「滝山精神病院」の問題を取り上げていました。
K大医学部の先生は、5年前から、滝山病院は、そんな噂があった、前時代的な病院です、とか。
地方の病院では、拘束なんかしないでも、穏やかに運営している病院もある、とのこと。
それに対して、「ひろゆき氏」が、ツッコミを入れていましたが・・・。
なんか、「たてまえ」と「現実の運営」と、隔たりがあるようにも感じました。
患者の家族は、「困って入院させた」。精神病院は8割以上は民間でやっている。
滝山病院の場合、常駐の医師や看護師は10名以下、ほとんどが「非常勤」。
つまり、深く関わりたくない、医師や看護師で、運営しているんですよね。
確かに、「暴力はいけない」、「人権を守らなければいけない」、ですが・・・。
あまりにも、公的なものからの「優先順位が低い」から、起きた問題のようにも感じます。
「多様性」だとか、「社会的弱者に目を向ける」だとか、言われていますが、どうなんでしょう?
かくいう、私も、どうしてあげることもできないのですが・・・。
違う。楽しくなったわけではない。叶うなら、私は一日中そこにいたかった。
ただそうすれば、その間、彼はずっと不機嫌でい続け、後日、何かにつけて小言を言われただろう。
だから小学生の私は大人の顔色をうかがい、自分の気持ちに蓋をしたのだ。
だから今回、自分がその場を楽しめた事実に、私は深い安堵すら覚えた。
あの時、もう帰ろうと言ったのは、やはり本心ではなかった。
小学生の自分に、あなたは本当はこのここが好きなんだよとやっと伝えられた気がした。
他人はどうしても、他人の顔色をうかがうものだ。
むしろ世の中が周囲を気にせぬ人ばかりであれば、この世はひどい諍いの坩堝と化していよう。
ただ人に気を使うことと、自分の好きなことや望むことまで我慢することは全然違う。
なぜなら自分の「好き」を殺すとは、間接的に自分で自分を傷つける行為なのだから。
少女の私はその違いがかわらず、自分さえ我慢すればと思っていた。
その誤りに気付いたのはごく最近。そして人間には、いつでも己の「好き」を取り戻す権利がある。
( 日経 文化 ディズニーランドと一眼レフ より )