挫折があったからこそ、分かったことがある。ダンス、料理、畑・・・。
それぞれ違うもののように見えて、自身の中でリングのように一つにつながっていたことだ。

修業時に冷たくあしらわれたときも、休憩中にダンスを披露すると料理仲間との距離が一気に縮まった。
「これまで自分のやってきたことの生かし合いで今がある」。

活動は新たな出会いを生み、次の道につながっている。

畑で育てた和綿を生かせないかと、そばにできた機織り場に話を聞きに行くと。
そこは障害者の就労福祉施設だった。施設の代表とやり取りするうちに。
障害者が働けるレストランをつくることになり、約3年シェフを務めた。

21年に代々続く米農家の妻の実家がある仙台に移住。
農作業の手伝いの合間に、納屋を作業場に木材や真ちゅうで自作の食器も作り、22年には個展も開いた。

  これまで一直線ではない道のりだった。それでも、なりたい自分になれている実感がある。
(  日経  Answers  ダンサーのち菜園料理家 より  )