今、すごい雨が降っています。
今日は、彼岸の中日、秋分の日ですが、これでは、お墓参りも、躊躇せざるを得ないですね・・・。
輪島市や珠洲市地方では、1月に被災した上に、雨で川が決壊、また、被災されています。
言葉もありませんが、お見舞いを申し上げるしかありません。
「結婚して42年。2人とも退職しています。妻が家にいるようになって3日に一度は私に怒っています。
昔は明るい陽気な性格でしたが、何か気に入らないでほとほと困っています。(東京都・60代・男性)」
( 日経 なやみのとびら より )
うーん、まあ、逆の場合も、あるでしょうねえ・・・。
夫が、妻に、いちいち文句を言っている、という場合も。
いやですねえ、こういうのって、人生の後半なのに、楽しめないって・・・。
※ 回答者は、「夫婦にもプライバシーは必要」、平穏に暮らすには「見ない」ことも大切、と。
じつは、私の元妻が、時々、私の日記を盗み見ていて、それに一喜一憂して、いました。
イヤでしたねえ・・・。「鶴の恩返し」では、「見てはいけない」といっているのに、・・・。
たとえ夫婦であっても、「プライバシー」は、守らないと、1から10まで、知る必要はないのです。
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一方、実際の場がなくても、自分の中からきつくはない声が生じる形もあると思う。
好きだと思える物と向き合ったり、行動をしたりすると、楽しいとか、ヤッターとかの。
声が湧くのを自覚できるはずだ。
この時、周りに人がおらず身体的にはひとりでも、心は好きな物事に向けて。
声を上げているのでひとりぼっちではないと言える。
こころに居場所があることは、とても大切なことだと思う。
人生には不安が転がっているので楽ではない。もうそれは仕方がないことだ。
発想の転換をして安心や安全を増やすべく、対話ができる場を大切にしたり。
「こころの居場所」を増やすため自分が喜ぶ物事を探すことは。
思いのほかやりがいのある取り組みのような気がしている。
( 日経 文化より 「不安とつきあう」 )