今日は、朝から、雨が降り続いています。
この1週間ほどは、雨や曇りの天気なのでしょう。
この言葉は、種田山頭火の。
「山あれば山を観る、雨の日を聴く、春夏秋冬、あしたもよろし、ゆうべもよろし」に、出てきます。
旅の空で、どんな心境だったのか、ちょっとわかりませんが、・・・。
あるがままに、受け入れるということでしょうか・・・。
私が、「雨の日」で、思い出す情景は、「いい思い出」ではありません。
もう、生まれた家は、他の人にわたり、陰も形も、無くなってしまいました。
家の前には、小さな「お墓」が、ありました。
そこには、大きな榎が1本生えていて、それをあがめるように、椿の木が、10本以上ありました。
なんでも、昔は「焼き場(死体を焼いた所)」だったとかで、気味悪いといえば、気味悪い。
ただ、墓石が、2つほどしかないので、それほど気にはしませんでした。
ただ、雨が降ると、その場所が、低くて、「水が溜まる」んですよね。
そして、私の家の、軒下まで、水が押し寄せてくるんです。
いやあ、「6畳一間の家」から、のちに、「4畳半」を増築した、小さい家の軒が、水浸し。
これって、「惨め」に、輪をかけた、感じです。
イヤでしたね・・・。それぞれに、雨の思い出はあるでしょうが、・・・。
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投手一人一人の存在感も薄れ、みんな6分の一の存在になりさがる。
家を支える1本の大黒柱ではなく、プレハブの細い柱にすぎない。
もっと投げられるのに、と思っている投手たちが、これで満足なはずがない。
プロ野球のシーズン最多投球回(2リーグ制後)は私が1961年にマークした429回3分の1。
中日全体では1179回で、3分の1以上を1人でまかなったことになる。
当時の根0-スはみんなそれぐらい投げた。
みんなでイニングを分け合う今は、年棒も6等分ということになるのか。
民主的で良さげだが、民主主義も競争があってこそ。
一番を目指して投げるから個性が出て、スターが生まれるのに、これではエースになりようがない。
( 日経 悠々球論 より 権藤 博 )