かつおぶし店

生活
  今朝は、箒ではいたような、雲が見られました。
秋らしい雲です、思わず、シャッターを切りました。(写真)
 天気がいいと、気分もいいですね、きっと、いいことがありますね。
     かつおぶし店の・・・
  よく、買い物に行く、”ぷらら天満”に、今では珍しい、かつおぶしだけを売っている、お店があります。
かつおぶしでも、削り方によって、違いがあり、何種類か、扱っていました。
さばぶしもありました、珍しいなあ、一度買ってみようと、思って、いつも通り過ぎました。
値段は、スーパーのものより、倍近い値段です。
飲食業の人が、主に、買うのだろうなあ、と。
  ところが、つい先日見ると、跡形もなく、撤退していました。
天神橋商店街で、大きなドラックストアが撤退したり、阪急中通りで、飲食店が撤退したり。
それらは、コロナ禍で、撤退したのかもしれませんが、この、かつおぶし店は違う気がしました。
  単品だけでは、時代に合わない、商売なのかもしれません。
毎日、かつをぶしを買いには行きませんからね。
  私は、こういう店が、好きなのですが、経営を考えると、やむをえないのですね。
   心に残る言葉 September ㉚
    ” 心が疲れたら 体に表れる ”

「先生に苦しみを吸い取ってもらった」。
統合失調症や不眠、うつなどに悩む患者が、ほほえみを絶やさない阿部憲史の前で心を開く。
山形市郊外の「阿部クリニック」、車いすの精神科医のもとに、毎日十五人の前後の患者が訪れる。

東北大工学部を卒業後、整形外科医になりたい、との思いを捨てきれず、山形大医学部に入学。
人生が一変したのは、夢に手が届きかけた1984年秋のことだった。
ラグビーの試合中に首の骨を折り、首から下がほとんど動かない体になったのだ。

絶望と不安の中、「将来のへの希望まで失いたくない」と医学部に復学した。
体の不自由さ以上に阿部を苦しめたのは「あいつに務まるのか」「挫折するのではないか」という周囲の目。
医師国家試験に合格し山形大病院に勤務。
しかし、整形外科、放射線科、皮膚科など各診療科から軒並み「うちでは無理」と断られた。

唯一、受け入れてくれたのが、精神科、患者に感謝される機会が増えるにつれ、やりがいを感じた。
やがて、患者がある共通点を持っていることに気づく。
「『心の強さ』を求められる日本社会で自信を失い、病気への誤解に苦しんでいる」
患者の姿が、自分とダブって見えた。

阿部を紹介したテレビ番組を見たという女性から届く手紙にも励まされ、「こんな自分でもなんとかなる。
それを伝えることが少しでも患者に役立つ」と思えるようになった。
その女性、看護師の郁子さんと95年に結婚、翌年クリニックを構えた。

「症状や使用する薬剤について時間をかけて説明し、患者の不安を少しでも取り除くよう心がけている」
精神病は治らないという認識を覆し、「患者に笑顔で治療完了を宣言する」のが目標だ。

小中学校で毎月講演し体験を語る。
「精神科への偏見は根強く式が高い、だが体が疲れたら心に表れる、心が疲れたら体に表れる。
それは誰でも一緒、そのことを多くの人に気づいてほしい」
( 阿部クリニック院長 阿部憲史  SUNDAY  NIKKEI   から )

  生活雑感 September ㉚

 

  岸田さんが、自民党総裁に、なりました。
河野さんの、尖がった部分が、選挙戦が続くにつれて、そぎ落とされて、いってしまいました。
永田町の、派閥の力で、結果が出ました。

  岸田さんの、あっちを向いたり、こっちを向いたり、”人の話を聞く”というのは。
”気配り”というよりも、”小心者”という、イメージを持たれないように、しないといけませんね。
首相になる人は、”アクが強く”ないと、プーチンや習近平など、世界の首脳と、伍していけませんから。

      今日もよい一日でありますように