先日、鈴鹿市でサッカー教室を営むコーチらに練習パートナーを務めてもらった。
違う世界の住人みたいだった僕が、一緒にグラウンドに立つと交わすやりとりは。

   同郷の同級生みたいな目線で、驚いたのだとか。
サッカーをしている間はみんなフラット、肩書や属性は意味をなさない。

 クロアチアやポルトガルへ飛び込んでみて、サッカーはそういうものだと僕はより強く自覚するに至った。
日本の外に出れば「カズ」は何者でもない。裸の一選手。だから純粋に戦える。それが面白く、喜びだった。

   体験と経験は違う。何かをしてみる行為そのものが前者なら。
後者はその行為を通じて知識や教訓を得る意味合いがあると解釈している。

   行くだけ、やるだけでも視野は広がるけど、その先の有意な経験は形作られにくい。
学ぼうとする心で謙虚に未知の世界を経験していく。欧州で成長する日本人はそうなんだろう。

       (  日経  サッカー人として より  )