台風が来週には、北上してくるようですが、天気がいいことに、こしたことはありません。
” 梅雨明け ” の日にちが大幅に修正されました。
あの猛暑の日々は、” 梅雨の中休み ” だったとか ?
そうなんですかねえ・・・。
小学2年生の「自暴自棄」
小学校2年生の時、T先生という女の先生でした。ちょっと太った、赤い眼鏡をかけた中年女性でした。
他の生徒からは「T先生はいい先生だよ」という、声の数々・・・。
人によって、感じ方は違うものです。
私は、「大キライ」でした。まあ、ソリが合わないというか、相性の問題もあるのでしょう。
1学期の初めは、「家庭訪問」、指導するうえで、教員が家庭環境を把握している必要があるのでしょう。
我が家も、母が会社をわざわざ休んで、家を掃除をして待っていました。
訪問後、母は「T先生は、出したお茶を飲んでくれなかった」と、ポツリ。
貧乏人の家ですから、” 汚い ” と思ったのかもしれません。
算数のテストで、初めて「0点」をとったのもT先生の時。
「早く2年生が終わって欲しいなあ」と毎日、毎日、思っていました。
あるとき、小学1年生から貯めた、お金を全部使ってしまったことがありました
学校がイヤだから、友達もいないし、家では兄貴にイジメられるので・・・。
そんなこんなで、自暴自棄だったのでしょう。
小1から、毎日10円の小遣いを使わずに貯めた「500円」を全部、使ってしまいました。
当時、菓子パンが10円でしたから、今の価値だと、5500円位になると思います。
毎日使わないで貯めて、50日、それを全部。
自暴自棄だったんですね。
オヤジからは怒られはしませんでしたが、「何に使ったんだ?」
毎日、毎日、ことあるごとに聞かれました。
それがイヤでイヤで、「もう一度、500円まで貯めよう」と、子供心に思いました。
貧乏人って、イヤなものです。
正確な真偽ははっきりしないものの、海の向こうにもこの話は伝わっていたようだ。
いっとき「平和のシンボルの紙を見せてほしい」と工房を訪れる外国人が相次いだという。
戦後、日本は平和国家としての道を歩んだ。しかし、地球上から銭貨は絶えない。
東北の一地方に足を運んだ人は、1枚の紙に何を感じたのか。
「和紙は千年」と言われるように、丁寧につられた紙は丈夫だ。
だから、戦時中は米本土を狙う紙風船爆弾の材料に用いられた。
25年前に亡くなった遠藤さんはそんな負の歴史を嘆きつつ、自らの作品のごとく。
「世界の人たちが平らな心になる」ことを願った。
美しい白紙につづられるのは希望を示す言葉こそふさわしい。
( 日経 春秋より )
ホステスを孕ませたなんて話は、政治家でも作家でも芸能人でも、枚挙にいとまがありません。
ふつう、このたぐいの話は出ないものなのですが、これだけ騒がれるのは「問題」があるのでしょうね。
以前、この手の話で、「69日間」だけ、総理大臣を務めた人がいましたが・・・。