浅黄色の朝

生活
  今日は、大阪は雲が多いですが、切れ目から、浅黄色の晴れ間がのぞいています。
浅黄色は、浅いネギの色、少し緑がかった、薄い青です。
  元旦や 上々吉の浅黄空 ( 小林一茶 )
  父の気持ちはいかばかりか
  朝、走るときに、樋之口の歩道を渡ります。
片側2車線で、4車線の横断歩道です、けっこう幅があります。
  時々、足でペダルをこぐ車いすの高校生と、その子のお父さんを見かけます。
小学校の頃は、ヘッドギアに、松葉づえを使って、母が見守り、登校していました。
中学生になると、車いすを母が押していました。
  高校生になった、今はお父さんが、登校を見守りながら、登校しているようです。
  障害のある子を持つ、ご両親の思いは、いかばかりかといつも思います。
「がんばれ」と、私は心の中でつぶやきながら、樋之口の横断歩道ですれ違いました。
  心に残る言葉  February ⑧
   ” 謙虚さは人間をたくましくする ”
  1991年、日本のサッカー界は世界に大きく取り残されていた。
ブラジルの超一流選手だったジーコ氏が日本の社会人チーム住友金属工業(現鹿島アントラーズ)に。
やってきたときは、地の果てに神様が降り立ったように見えたものだ。
神様は華麗なプレーを見せてくれたが、同時に指導者として日本選手に真剣に接した。
「大事なのはボールを止めることと蹴ることだ」
という指導方針のもとに未熟な日本選手をバカにせず根気強く練習につき合った。
やがて設立されたJリーグには何人もの一流外国人選手が来ては去っていたが。
ジーコ氏は日本のサッカーを見続けてきた。
それは決して心地よい経験ではなかったはずだ。
代表監督になってからは、未完成チームが苦戦しただけで「ジーコ辞めろ」と叫ぶファンのデモが行われた。
評論家を自称する関係者は、やれ1トップだ、やれ4バックだとジーコ采配の戦術批判して、責任を追及した。
むしろ外国人嫌いの日本の本音を見せつけられる思いがしたほどだ。
しかし、教え子たちである選手たちは違った。
予選突破を決めた北朝鮮戦の後も中田英寿選手は「まだ学ぶことはたくさんある」と言っていた。
謙虚さは人間をたくましくすることを、彼らの姿は語っていた。

     生活雑感  February  ⑧

  高木美帆選手、惜しかったですね。
金メダルを目指していての、2大会連続の銀メダル、時の運もありますしね・・・。
お疲れさまでした。
 
  オランダは、五輪で勝つよりも、国内選考に勝つ方が難しいとか・・・。
日本の柔道のようなものなんですね。
  今日もよい一日でありますように