焼酎

生活
  今日もいい天気、気分がいいですね。
敬老の日、人口の29.1%が、65歳以上とのこと。
約3人に一人は、高齢者、ということになりますね。
  小学生や赤ちゃんを見ないことはあっても、年配の人を見ないことはありませんからね。
世界一の長寿国は、いいことだと言えますが、将来のことも考えないといけませんね。
     祖父の焼酎
  私は、祖父・祖母の記憶はあまりありません。
父方の祖父母は、物心ついたときは亡くなっていました。
母方の、祖母も亡くなっており、祖父だけが、幼児期の記憶に、おぼろげながらあります。
それも、幼稚園に入る前の、ものです。
  ある日、母方の祖父が、家にやってきて、暇なので、焼酎を飲み始めます。
母親が、買い物に行った間に、私が焼酎を飲まされて、寝ていたという記憶です。
まったく、幼児に焼酎を飲ませるか、って話ではありますが、” 事件 ”でした。
  いつも走る、大川沿いに、彼岸花が、咲いていました。
赤の彼岸花の、花言葉は、「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」だそうです。
   心に残る言葉 September ⑳
  ” 人生は、美しいことだけ、覚えておけばいい ”

  これは、澤田美喜さんの言葉です。
父親を探しに、ニューヨークに渡った、黒人の孤児は、会えずに、途方に暮れる。
そのとき、彼女が、孤児に話した言葉です。
” 美しいことだけ ” 覚えておけば、人生捨てたものではない、と伝えたかったのかも、しれません。
くしくも、昨日、9月19日は、澤田美喜さんの、誕生日です。

  彼女は、三菱財閥創始者の岩崎彌太郎の孫で、三代目当主の岩崎久彌の長女にあたります。
外交官の妻であり、財閥の令嬢でした。
しかし、「エリザベス・サンダース・ホーム」建設のために洋服、毛皮、宝石、絵画、銀食器など。
金目の持ち物を惜しみなく売り払い、資金を調達しました。

  1948年の厚生省の全国孤児調査結果によれば、戦争孤児の数は約12万人。
焼け跡の街には浮浪児があふれていました。
その子どもたちが施設に保護収容されていく陰で、敗戦を原因とした新たな孤児が生まれていたのです。
その数は厚生省の1953年の実態調査によれば約4千人。
84%が白人系、11%が黒人系であったことが明らかになっています。
GHQも日本政府もこの孤児たちの存在に世間の注目が集まることを嫌い。
積極的な救済策を取ろうとはしませんでした。
敬虔なクリスチャンであった澤田美喜は、その行き場のない孤児たちの母親になることを決意。
1948年神奈川県大磯町に「エリザベス・サンダース・ホーム」を創設しました。

  生活雑感 September ⑳
  大谷投手が、8回2失点でしたが、勝ち投手になれませんでした。
何とか、10勝はしてほしいですね。
  応援しています。

  

       今日もよい一日でありますように