光一さんにとって「あと一つ勝てば本因坊=大三冠」のチャンスは。
最初の年の3回と、3度目の4回の計7回もあった。

  五分と五分の勝負で、すべてこちらが勝つのは、確率的にあり得ない話で、奇跡と呼ぶしかない。
光一さんが北海道生まれで本因坊戦が行われる梅雨時の暑さに弱かったとか、大三冠を意識し過ぎたとか。

  様々な分析はあったが、ボク自身は勝利の女神の気まぐれ、運命みたいなものだったと思う。
強いて言えば、事故後の棋聖戦での勝負を通じて光一さんを尊敬する気持ちを持てたことが。

  ボクに運をもたらしてくれたのだろう。
「こいつにだけは負けたくない」という気持ちだったら勝利の女神は多分ほほ笑んでくれなかった。

   (  日経  私の履歴書   より  趙 治勲 囲碁棋士、名誉名人 )