キャリアの晩年が近づいているというのは、最後のパラリンピックになるだろうと。
思って臨んだ東京大会で感じていた。

   その辺りから引退してしたら何をやるか、というのは考えていたが、答えが出なかった。
現実ではないので引退してみないとわからない、というのが当時の結論だった。

   しかしラケットを置くことを決め、所属するユニクロの柳井正会長兼社長(当時)に。
報告にうかがった際に言われた、「何か本業を持て。

   持たないと人生は楽しくないぞ」という言葉が胸に刺さった。
メディア出演や講演会などの仕事があるだろうと考えていた、自分の甘さを射抜かれた気がした。

     (  日経 スポートピア より 「引退後も挑戦する日々」 国枝慎吾 )