ある夜、ボトルも空いてきたころ議員の1人が日本の議員から「根回し」という言葉を聞いた。と話した。
公式の会議前に意見をすりあわせる非公式な相談だと説明した上で。

  「米議会でも同じことをしているのにネマワシのようなきちんとした言葉がないのは残念だ」と言った。
「ならばネマワシを米議会でも流行か」と別の議員が提案し、一同が賛同した。

  そのようなわけで米議会ではしばらくの間。
一部の議員が「この問題派では、もっと根回しが必要だね」などと言い合っていた。

   結局、ネマワシの言葉は米国では浸透しなかった。
50年前の私は、妥協なしに主張をぶつけ合うだけの政治がここまで米国に広がり。

   合意を得ようとの意志さえ失われるとは想像もしていなかった。
今日と違い、当時の議員には所属政党にかかわらず、ある種の仲間意識があった。

   共和、民主の両党は政策をめぐり衝突しても互いを尊重し信用していた。
妥協こそが民主主義的な政府を機能させる肝だとも信じていた。


   ( 日経  私の履歴書 より ジェラルド・カーティス )