そもそも、生きているということは、死の犠牲者がいたということだ。
「食べ物はみな、死を通過しているともいえる。

   僕は野菜を殺して生きて、小鮒を殺して生きて、イナゴを殺して生きているわけでしょ」。
幼いころに食べたそれらは、今も自分の体のどこかでの一部になっている。

   「画家という仕事は、肉体を通して創作行為をする。
だから、僕のものの考え方はというのは、体を通じてできている。

   その体が何でできているかといえば、食べ物からできているわけです」。
そう考えると、人生の底にはずっと食べ物が流れていたと気づく。

   最近は食が細くなってきた。旧友の三島由紀夫さんのすすめで毎週日曜に食べ始めたステーキも。
以前のの3分の2くらいしか食べられなくなってた。

   「お医者さんはに言わせると、人間が死ぬときは結局食べられなくなって死ぬというわけ。
それが1番の自然死だって」。それにあらがうつもりはない。

   「反抗したり抵抗したりするとかえって苦しい生き方になる」と達観する。
「人間は死ぬために生きているんです。食べるのだって死ぬためですよ。

   死ぬために生きて、死ぬために食べる。それ以外はに何があるんですか」。
いたずらっぽく笑った。

       ( 日経  職の履歴書 より  横尾忠則・現代美術家 )