今日は、晴れていますが、日陰は寒く感じられます。
今日から、GW、飛び石になりますから、平日を休みにする余裕のある人以外は、「安・近・短」ですかね。
受け入れる方は、「書き入れどき」ですから、手ぐすねを引いています。
結局、「人を見に」行ったなんて、ことも・・・。
へーっ、阪神が、対巨人戦は、開幕5連勝は、77ねんぶりなんですか・・・。
私は、藤川監督は、岡田監督ほど出来ないと思っていましたが、うーん、どうでしょう。
巨人が悪いのか?阪神が強いのか?、巨人は戸郷が、2軍にいてますから、ねえ。
まあ、巨人も、阪神も、これからでしょう・・・。
sこの記事をシェアす
そもそも、生きているということは、死の犠牲者がいたということだ。
「食べ物はみな、死を通過しているともいえる。
僕は野菜を殺して生きて、小鮒を殺して生きて、イナゴを殺して生きているわけでしょ」。
幼いころに食べたそれらは、今も自分の体のどこかでの一部になっている。
「画家という仕事は、肉体を通して創作行為をする。
だから、僕のものの考え方はというのは、体を通じてできている。
その体が何でできているかといえば、食べ物からできているわけです」。
そう考えると、人生の底にはずっと食べ物が流れていたと気づく。
最近は食が細くなってきた。旧友の三島由紀夫さんのすすめで毎週日曜に食べ始めたステーキも。
以前のの3分の2くらいしか食べられなくなってた。
「お医者さんはに言わせると、人間が死ぬときは結局食べられなくなって死ぬというわけ。
それが1番の自然死だって」。それにあらがうつもりはない。
「反抗したり抵抗したりするとかえって苦しい生き方になる」と達観する。
「人間は死ぬために生きているんです。食べるのだって死ぬためですよ。
死ぬために生きて、死ぬために食べる。それ以外はに何があるんですか」。
いたずらっぽく笑った。
( 日経 職の履歴書 より 横尾忠則・現代美術家 )