新薬は巨額の富を生んだ。
15年には米誌フォーブスに「米国で自力で成功した女性」として日本人で唯一、紹介される。

   当時の純資産額は推定3億3千万ドルと、その時点では米歌手のビヨンセさんも上回っていた。
ただ、華々しい成功の裏には悔しい思いもあった。「豊かな国だけでなく、貧しい国の人々にも販売したい」。

   そんな当初の希望が、薬の販売権を売却したことで叶わなかったからだ。
それでも「発見から商品化まで2回も見ることができたのは、科学者としてものすごく幸運だった」と話す。

   受けた恩や運を次世代へ返したい。
恩送りの信条から00年に若い才能を支援する「S&R財団」を設立した。

   「世の中に喜びを与える芸術家や科学者を支援しよう」という活動を始める。
11年にはワシントンからにある歴史的建造物は「ハルシオン・ハウス」を1100ドルで購入。

   そこを拠点に14年、起業家支援事業「ハルシオン・インキュベーター」を始めた。
起業家は改装したハルシオン・ハウスで生活でき、無料の法律相談や1万ドルの給付なども受けられる。

   これまで380以上の企業を支援し、参加者の企業は8・5億ドル以上の資金を調達した。
自身が創業した日米の2社が上場を果たしたが「さらなる新薬開発は時間的に難しい」と判断。

   18年までに全株を売却し経営から離れた。軸足は社会貢献活動へと移していった。
18年に母校の京大近くに「日本版ハルシオン」といえるフェニクシーを共同創業。

   日本でもスタートアップの創出支援や起業家の育成に乗り出した。
起業で大切なのは徹底的に考えること。「何もわかっていない状態から始まり。

   もやもやに耐えて考え続けると、ある日突然、山の頂上が見えてくるような感覚がある」。
甘い見通しで事業を始めても、うまくはいかない。

   (別次元に)跳ぶように考え、這うように証明することが重要だ」と力説する。

          ( 日経  My Story    より   社会起業家  久能 祐子 )