誕生日は今川焼だった

生活

  昨日、アルバイト先から自転車で帰ってくるとき、堂島川を渡ると、東の空に満月が出ていました。
もっとも、今日が満月なので、見たのは99.7%の満月の近い月でした。
  日の入りが遅くなって、ほんの少しですが、春の兆しを感じます。
  

    誕生日は今川焼だった
  実は今日、1月18日は、私の誕生日です。
昭和33年1月18日、64歳になりました。
  子供の頃、誕生日には、オヤジは今川焼を買ってきてくれました。
今川焼、つまり、地方によっては呼び名が違いますが。
回転焼き、太鼓焼き、二重焼き、太鼓饅頭、御座候、のことです。
誕生日のケーキは、食べたことがありません。
  小学校の頃、誕生会が流行って、男の子からも女の子からも、呼ばれたこともありましたが。
オヤジの「行くな」、の一言で、行きませんでした。
行くと、自分の家でも、会をやるしかないからです、まあ、貧乏とはイヤなものです。
  高校受験の時に、同じ誕生日の男がいて、私が合格、彼は不合格になりました。
四柱推命でいけば、同じ占いの結果なのに、そういうものか、と思ったことを憶えています。
   心に残る言葉 January    ⑱
   ” 父として(おれも)勝った ”
  「進化創造」「変化向上」「のたうち回って何かを悟る」。
「からかうな、一瞬の気の緩みが逆転を許す」。
父が商売に失敗して一家離散。
親せきや兄弟を頼って、転々とした末、十六歳で家出し、愛に飢えた少年時代を過ごした。
もし、自分が父になったら、「子供の心に灯をともしてやるのが務め」そう心に決めていた。
早朝のランニングは常に京子の前を走り。
マットでは敗因となったクリンチ対策を一年かけて徹底して覚えこませた。
「次も負けたら、京子はおれを信用しなくなる」。
娘を失いかねない恐怖と戦いながら、翌年、世界王者に返り咲いた瞬間。
「父として(おれも)勝った」と感じたという。
( アニマル 浜口 親子 )
 生活雑感 January    ⑱
  水島新司さんが亡くなりました。
野球漫画で、ある面、プロ野球の人よりも、野球を知っていた、というから、すごいです。
何かに打ち込んで、そのことで、人に感動を与えられる人は尊敬できます。
  ご冥福をお祈りいたします。
  今日もよい一日でありますように
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