静かなノモンハン

生活
  昨夜は久しぶりに、なにわ淀川花火大会が開催されました。
いつもの行事がまた行われるようになるというのは、安心感があります。
     読了の余韻 August   ④

 「 静かなノモンハン 」 伊藤桂一 著 講談社文芸文庫 1540円(税込み)

静かなノモンハン
 モンゴルと満州国の国境で、モンゴルは「ノモハーニー・ブルド・オボー(塚・道しるべ)」まで。
満州国は「ハルハ河」まで、と主張を譲らず、もめていました。
そこで、満州国の防衛にあたっていた、関東軍・参謀・辻政信少佐の「満ソ国境処理要綱」から。
紛争→戦争→負傷者・ソ連約25000人、日本約20000人、を出してしまいます。
関東軍の上司は、辻少佐の考えに賛同し、東京の参謀本部は「黙認」。
 惨敗になったら、関東軍の現場に責任を押し付けています。
そして、この戦争で生き残ったものを「口封じ」すべく、太平洋戦争後では南方へ送ります。
「惨敗」を隠すため・・・。
  一部、「ノモンハンは勝利した」というのはソ連の策略のようです。
ドイツが、不可侵条約を破って、ポーランドに侵入したため、兵力を東に向けられないために。
ハルハ河と「ノモハーニー塚」との中間ぐらいに国境を設定し、日本をごまかしたんですね。
 筆者は、3人のノモンハン事件(1939年・昭和14年)・生存者から、聞き取りをして書いています。
戦争の方法とかの批判はまったくありません→それはタブーで資料には記述がないようです。
ただ、3人の証言から、ソ連の近代兵器に対して、明治時代の兵器と軍刀だけで戦ったようです。
その兵士の惨敗の姿を、証言から描いています。
 「将校商売、下士官道楽、お国のためは兵隊ばかり」というように。
兵器の扱い方も知らない上官が、兵隊に命令しています。
戦争が終結しても、責任は下のものに押し付けられて、自決させられたりしました。
  しかし、80年以上経っても同じようなことが、今も現実に存在します。
福島第一原発事故で、命がけで現場の処理にあたった、吉田所長。
森友問題で、自死した、赤木さん・・・。
ウクライナがロシアから攻撃されているときだからこそ、考えさせられるものがあります。
    心に残る言葉  August   ㉘
      ” 生を意味深いものにする ”
  父の最期日々も同様であった。
想像を絶する苦痛と不安に襲われていたであろう入院生活の中で、常にウイットに富んだ会話で皆を笑わせた。
また句作の傍ら、若い医師や看護師に美しい季節の言葉などを教えていた。
ある日当番の看護師が言った。
「黛さんのお陰で表現する喜びに出会い、人生の転機になりました!」
  父は余命いくばくもない哀れな寝たきりの病人ではなかった。
亡くなる直前まで創作を続け、周囲の人々を幸福にし、人生をも変えていた。
その行為はまた父自身の命と人生を輝かせた。
  私たちはいつどのような状況に置かれるかわからない。
果たしてその時に「生を意味深いものにする」ような態度が取れるだろうか。

 (  日経  文化より  黛 まどか  )

     生活雑感  August  ㉘

  NPT(核拡散防止条約)の再検討会議で最終文書案が採択されずに終わりました。
「核兵器は持ったもの勝ち」みたいになっています。
  どうしたらいいですかね・・・。
   今日もよい一日でありますように
タイトルとURLをコピーしました