台風の影響で、蒸し暑さが残っていますが、じきに涼しくなるでしょう。
八百屋には、ぶどうのほかにも、梨や栗、ミカンなどが並び始めました。
安倍元総理の国葬やら、エリザベス女王の国葬やらで、いろいろと世の中が騒がしいです。
私にとって、「死」を最初に意識したのは、「母親の父親」つまり、祖父の死でした。
別に立派な祖父でもなく、ブリキ職人の「飲んだくれ」でした。
ある日、家に遊びに祖父が来て、母親が外出した間に、この祖父に「焼酎」を飲まされました。
当時、私は3歳か4歳、「飲まされたのか?」「飲んだのか?」は定かではありませんが・・・。
しばらく、布団に寝かされて、母親が怒っていたという、うすい記憶があります。
その祖父が、私が5歳ごろに他界しました。
その葬儀で、「ああ、人は年老いて死ぬんだなあ・・・」と、漠然と思ったものでした。
そのほか、同級生の死、親族の死、同じ働いていた人の死、いろいろな死に接してきました。
その中で、忘れられない「死の記憶」があります。
それは、ある男子高校生の「焼身自殺」でした。
彼は、私の兄貴と同じ高校1年生でした。
しかし、彼の実年齢は「2歳上」、「高校浪人ではありません」が。
2年間、定時制に行ってから、入学したようです。
陸上部で足が速く、50ⅿ走では6秒を切っていました。
兄の友達と一緒のK村の出身で、ハンサムでカッコいい青年でした。
私は、一度だけ、会ったことがあります。
「焼身自殺した」ということは、またたく間に広がり、心が表現しようのない混乱に陥りました。
「なんで?」「なぜ?」「どうして?」衝撃的なものでした。
駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバ氏が9日、ツイッターを更新。
安倍晋三元首相の国葬について、私見をつづった。
レジャバ氏は国葬を巡る一連の報道に言及。
「国葬をめぐってメディアや日本の一部のオフィシャルからあれこれと発言が出ていることを残念に思います。
それどころか、故人に対する目に余る言動に心を締め付けられております」と投稿。
「たったひとりでも国外からの来賓があるならば。
国民が一丸となって対応することが日本の懐ではないのでしょうか」と記した。
さらに「また、問題があるとすれば機会を改めて吟味すれば良いのではないでしょうか」と指摘。
「今は政治ではなく日本全体の姿が試される局面です。
私は、まったく必要なく悲惨な死を迎えてしまった安倍元総理の英霊を敬い。
歴史に残る国葬となる覚悟で出席を表明致しました」と結んだ。